メンバーズブログ 日々つれづれ

摂食障害をのりこえて。鈴木こころ讃

2019.9.24 テーマ:メグミの風船

先日の日曜、サリュカレッジが、開かれた。今回は、愛媛県から、鈴木こころさんと言う女性が招かれた。自身の摂食障害について、勇気を持って、語ってくださるということだ。
ここでも、それについて、紹介したい。こころさんは、六人家族の長女で、物心ついたころから、世間体をきにしつつ、大人の顔色を見て行動するような、子どもさんだったという。
こころさんは、何度も、ピエロ役をして、と述べられ、家庭の中でも、気を遣って
こられた。ある日、学校から帰って、たまたまテーブルにあったおまんじゅうを、発見され食べてしまわれる。しかし、その後、勝手におまんじゅうを食べたことを、家族にしかられ、この時初めて「食べ物を食べていい人間か」ということを意識するようになったらしい。家でのそんなとまどいを、話す心の友もその頃のこころさんには、おられなかったらしい。
学校へいっても、優等生になりきられ、高校生の頃、しんどくなってしまわれる、
親が望むクラスに入れなかったことにショックを受け、猛勉強を始める。1年後、晴れて特進クラスに入られるのだが、ついでに始めたダイエットの結果、ご飯の量を減らしおかずの量も減らし、残った野菜も、食べらくなる。
水も飲めなくなり、氷をたべられるようになる。その頃体重が、40キロをきるようになる。
学校生活が、送りづらくなる。当然心身共に、しんどくなられ、食べないので、お通じもなく、生理もなくなり、そこでやっと病院の門をたたかれる。この時、体重34キロ。内科だったが、精神科ともつながりのある病院で、たまたま、主治医が女医さんで、思春期痩せ症の事を勉強してくださった。その頃は、摂食障害という言葉も、無かった時代。入院。28キロになる。生理がないので、妊娠しているのではないかと周りの人に言われ、ショックからしゃべれなくなる時期もあった。
そんな状態のまま、専門学校へ進学される。そして、ひとり暮らしを始める。こんどは過食になり、3ヶ月で、78キロになってしまう。入退院を繰り返し、心はいつも不安。
家に戻られる社会的に。自分の居場所が無くなっていることに、気づく。孤独。5年くらい、食べ吐くを繰り返される。苦しい。お父様のアルコールを飲んでみたりする。便秘の薬を
乱用される。農薬を飲んで、自殺未遂してみたりもされる。お母様を頼っておられたが、
ある日、、「お母さん、パソコン教室へ、行ってくるわ」と、突然『母子カプセル』崩壊。それがきっかけとなり、母親と少し距離ができ、自分でしっかりしょうと、思われた。いわば、アダルトチルドレンだったと言われていた。
日記を書くようになられる。ご自分を客観視でき、表現できるようになる。次の段階に
進めるような気がする。
26歳で、社会復帰の方向に、向かわれる。2年間をかけてボランティア等をする中で、
コミュニケーションや社会に適応する力を身につける、28歳で、フルタイムのお仕事に就く。社会福祉協議会職員として。
そうして、今では、摂食障害の人と共に、自助グループの運営や、摂食障害初めとする生きづらさを、もつ人のための就労継続支援B型事業所を立上げられ、摂食障害という病気を、広く理解してもらえるよう、積極的に活動されている。

こころさんは、小柄でとても可愛い方で、幼い頃から、真面目に一生懸命に、
生きてこられた。そこに私は感動を覚え病気を乗り越えた、こころさんを讃えたい気持ちで、いっぱいです。

こころさんのお話を聞いて、家に帰って来たら、「摂食障害の人のお話を聞いて、感動して、良かったわ」と言ったら、家族の人に、少しぽっちゃり気味の私に「あんた、うらやましかったんじゃない」と言われ、いかに摂食障害という病気が、怖い苦しい病気か、伝わっていないのかと、悲しくなりました。精神科領域の疾患の中で死亡率が高い病気です。私は統合失調症だが、なかなか普通の人には、理解されない。悲しくつらい。こころさんが書くことで表したように、その症状を、小説に書いたこともあった。お互い頑張りましょう。

メグミ

  • チェック

↑上に戻る

画像一覧
桜とサリュ カナコマ vol.3 「食欲のサリュ  たんかん編」 防災訓練と表彰状 クレアさんからの便り カナコマ vol.2 「おみくじ おみくじ」 「カナコマ」始まるみたいです...